第10回「日本語っておもしろい!」

英語では「sad」という一言で表現される「悲しい」という感情。しかし日本語では、嘆き悲しむ・号泣する・途方にくれる…等、何百通りもの表現があります。日本語独特の「類語」と呼ばれるこれらの言葉は、あらためて日本語の奥深さと美しさを私たちに教えてくれます。
作文教室では、1年生の子どもたちにも「類語大辞典」という辞書を渡し、自分が書いている場面に一番ピッタリくる言葉を見つけながら表現してもらっています。大人びた文章を書く必要はまったくないのですが、さまざまな言葉にふれることは子どもたちにとっては本当に楽しい体験のようです。
「類語大辞典」は国語辞典の2倍ぐらいの厚さがあり、作家や学者が主に使用する辞書です。実は私自身、まだ小学生では早いかな・・・?という気持ちがありました。
子どもたちは物語を書く中で「おどろいた」「うれしかった」という表現をよく使います。しかし、それが何度も何度も出てくる中で、「ちょっと表現を変えてみたらどうかな?」と類語の話をしました。これがきっかけとなり、子どもたちは辞書を奪い合うように、目をキラキラさせて言葉探しを楽しみ始めたのです。
“ 目を白黒させる、肝をひやす”“飛び跳ねる、天にものぼる気持ちになる”
「これにする!この言葉がぴったり!」
と得意気に原稿用紙に向かう子どもたちの姿を見て、小さいからこそ「本物」を与えなければならないのだということを痛感しました。
 本をたくさん読んでいるのに語彙力が増えない、という話をよく耳にしますが語彙力を増やす、というのはそう容易なことではありません。英会話が得意な友人は、「習いたてのカタコトの英語が相手に通じたとき、そのとき使ったフレーズは絶対に忘れられない。英単語をいくら暗記してもすぐに忘れてしまうのに。」と口をそろえてこう言います。日本語も同じなのではないでしょうか。自分が一生懸命考えた文章、今どうしても書きたい文章の中で、「これだ!」という言葉を見つけ、使っていく・・・。その繰り返しの中で、少しずつ少しずつ言葉の数は増えていくのではないでしょうか。子どもたちの作文を読むたびにそう思うのです。

 先月、あるクラスで「枕草子」を読みました。初めて古文を目にした子どもたちは、まったく意味がわからない様子でした。しかし、意味はわからなくてもこの古文独特の美しいイントネーションや言葉の響きを味わえたら十分です。授業の最後には、清少納言が何気ない日常の宮中の様子をおもしろおかしく綴った枕草子の中の「ありがたきもの・にくきもの」をまねて、子どもたちにも随筆文(あることについて思ったことを感性に訴える文。)に挑戦してもらいました。これは子どもたちが何気ない日常の一こまを描いた「現代版枕草子」の一部です。
 小さな喜び
朝起きてすごく髪の毛がまとまっていたとき。私はねぞうが悪いから前の夜はしっかりまとめて寝るのにいつもあっちこっちにはねている。まるでタコの足みたい。でも、すごく落ち着いていると一日が始まるのが楽しくなっちゃう。でもまた次の日にははねている・・・。もう、いやになっちゃうよ・・・。
 シャンプーやリンスのふたをポンッとあけるときなんかも幸せだ。新しいシャンプーやリンスを自分がいちばん最初に使えると思うとうれしい。 (中略)
小さな喜びって人それぞれちがうけど、お金持ちにはわからない凡人だけの喜びってたくさんあると思う。そういうのをいっぱい見つけていきたい。

本当に何気ない出来事でも、こうやって「今」を記録していくことは未来にとっての財産になります。清少納言の枕草子がそうであったように。

「なんで日本人はひらがなもカタカナも漢字も勉強しないといけないの!」なんて子どもたちは言いますが、だからこそ日本語はおもしろいのです。山梨県出身のミュージシャン「THE BOOM」の代表曲「島唄」が世界各地で「日本語」のままでカバーされているのは、ほかの国の言葉には置き換えることにできない大きな魅力が日本語にあるからではないでしょうか。せっかくこの国に生まれたのだから、思う存分その言葉を楽しんで生きていけたらいいな、と思う今日この頃です。

2006.11.13

コラム