第13回 新潟中越沖地震「いま、わたしたちにできること」

うだるような暑さが続いた夏休み。 
いつもの物語作文から離れて、6年生クラスでは「災害」や「戦争」について考える授業に取り組みました。今年7月に起こった新潟・中越沖地震の被災地の現状や、いまなお地雷に苦しむ国の人々の暮らし、また自分たちと同じくらいの子どもたちが兵士として借り出されたり、マンホールでの生活を余儀なくされているという現実をまず、「知る」ということ。これが、相手を理解するための第一歩なのではないかという思いから、さまざまな映像や資料を見ながら学んでいきました。そして、「かわいそう。」「気の毒だ。」で終わるのではなく、「なにか私たちにできることはないだろうか?」と考えてもらいました。

しかし、その「現実」からかけ離れた、恵まれた生活をしている子どもたちにとって、それらはなかなかピンときません。かろうじて出たのは「駅で募金活動をする。」援助=お金=募金という発想でした。それが悪いとは思いません。でもそれがすべてだとも思えない。援助ってほんとにお金だけなんだろうか?そう、もう一度投げかけました。

私が、こんなふうに考えるのには実はわけがあります。私自身も、援助=募金、という発想しかなかったからです。12年前、阪神淡路大震災にあうまでは。
12年前のあの地震のとき、全国各地いろんな場所から、若い人も年をとった人も、いろんな人たちが被災地にボランティアをしにかけつけてくれました。誰に指示されたわけでもなく、人々は自分の得意なこと・自分にできることを探して動き始めました。大工仕事が得意な人は壊れた屋根の修理を、パソコンが得意な人は全国に被災地の情報を伝える役割を、力仕事が得意な人は集まってきた支援物資を運ぶ仕事を。料理が得意な人はあったかい食事を作り、手話ができる人は障害を持った人々を支え、絵が好きな人々は祈りを込めて瓦礫の街の壁に絵を描きました。これらはみんな「ボランティア」と呼ばれる人たち。私は、人のお話を聞くのが好きだから、仮設住宅で暮らす人々のお話を伺うボランティアを約7年間続けました。私は、援助というのは「お金」だけではない、ということをここで教えられたのです。
阪神大震災は、多くのかけがえのない命や財産を奪っていきました。でも、「ボランティア」という大切な光を残してくれたのも事実です。あの震災で、多くの人々の生き方が、命の在り方が変わったような気がしています。私自身も、そのうちの1人だと実感するのです。

そんな話をして、子どもたちにもう一度、問いかけました。 
「いま、私たちにできることはなんだろう?」 
子どもたちは楽しそうに意見を出し合いました。そこで出てきたのが、 
「大きな絵本を作りたい!」 
いかにも彼女たちらしい素直な意見だと思いました。 
その日から、夏休み中、授業の前に早く集合してみんなで絵を書き、文を書き・・・巨大絵本1冊と小さな絵本3冊を完成させました。巨大絵本のタイトルが「にじ」です。小さな子にもわかりやすいように、短くてわかりやすい内容にしたい、「にじ」を見たらなんだか笑顔になれるし希望がわいてくる。そんなメッセージを新潟に届けたい。それが子どもたちの思いです。そしてもう1つ。教室に通う生徒の保護者に「家庭に眠る不用品を持ってきてください!」と呼びかけ、集まった品物をリサイクルショップで換金しました。自然が引き起こしたこの災害。少しでも地球に優しいリサイクルに取り組みたかったからです。
そのお金と完成した絵本を11月末に、新潟県の柏崎小学校に送りました。被災地のことを「知った」ことから始まった今回の子どもたちの行動。私たち日々の暮らしは、決して当たり前ではありません。他人事ではなく、どんなに小さなことでもいいから何かアクションを起こしていける、そんな大人になってほしいと願っています。

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