第24回 ふるさとってなんだろう

みなさんのふるさとはどこですか。

ふるさとって、私たちにとってどんな場所でしょうか。

 

中学・高校生クラスで考えたテーマです。

 

先日の1月17日。阪神淡路大震災から19年の歳月が流れました。

未曾有の大地震の中、多くの人たちが大切なもの、大切な人を失いました。

私は、あの時、生まれ育ったふるさとの神戸で、仮設住宅を訪問するボランティアを通してたくさんの被災地の方々と出会いました。震災の真っ只中を歩きながら、あの震災が変えた人々の生き方、そしていのちの在り方を見つめる日々でした。

そんな中、震災後20年で、家を失った被災者の方々が入居していた復興住宅を追い出されてしまうというニュースを目にして胸が痛みました。人々はようやく手にした第二の「ふるさと」をまた失ってしまうのです。

 

そして、まもなくやってくる3月11日。東日本大震災からまもなく3年がたちます。

ここでも多くの人々がふるさとを失いました。

福島第一原発20キロ圏内の8町村の主な避難先は県内が約5万人。県外が約2万人。

授業では、原発から8キロの一にあった浪江町のショッピングセンター「サンプラザ」の復活に焦点を当てた映像を通して考えました。

地元密着の商売で地元の人たちから愛されてきたこの店は原発事故で閉鎖。しかし従業員の強い思いで新店舗をオープンさせます。そしてふるさとを失い、様々な仮設住宅に散らばった浪江町の住民たちのために送迎バスを走らせ「買い物バスツアー」を企画。店のスタッフと住民たちの歓喜の再会。そこには「客と店員」を超える、何か強くて深いつながりを感じました。

 

子ども達は様々な思いを述べてくれました。

 

東日本大震災が起こってから三年。私たちと同じ年くらいの子どもが「ふるさと」を失ってしまったという事実に恐怖を感じ、もし自分だったらと考えてみた。朝、時間を気にしながら一生懸命自転車をこいでいる時、ふと周りに視線を動かすと、必死にこぐ私をいつも音楽を聴きながら追い越していく男子高校生や、自転車をこぐのが速いおじさん、立ちこぎもせずにすいすいと坂を登っていくおばさん。そんな、いつもの光景が広がっていた。

私にとって「ふるさと」とは場所そのものだけでなく、そこに住んでいる人や存在する物や景色、習慣、思い出それらすべてがつまった大切なものである。それがなくなってしまったら、すごく悲しいだろうし、私は安心して外の世界に飛び出せないと思う。帰る場所があるから、人はがんばれるのではないか。

私の「ふるさと」は、今住んでいる山梨だ。理由は、ただ長く住んでいるからではない。かけがえのない友達と過ごしてきた思い出という名の「宝」がぎっしりつまっているからだ。そして、周りの人と築きあげてきた信頼からくる「安心感」があるからだ。もし、私の大切な「ふるさと」がある日突然なくなったら…怖くて想像できない。

 

 

また、被災地で働く人々と住民とのつながりを知って「働くとは」ということを考えてくれた子もいました。

 

「働く」とはどういうことだろう。私が最初に思いついたのは「生活をしていくために収入を得る手段」という答えだった。しかし、今回の映像を見て、もう一つの働くことの大きな意味・目的を学んだ。

私が最も印象的だったのは久しぶりに再会した従業員とお客さんたちが心から再会できたことを喜び合う場面だ。それはサンプラザが地元に密着し、従業員たちが住民との絆を深め合ってきたからだと思う。そんな従業員と住民との絆こそ、私が思った「働く」ということの大きな意味だ。つまり、「働く」ということは「人とのつながりを作っていく」ことだと思う。

被災して、今も仕事につけずに仮設住宅に補助金等で暮らしている人も少なくない。インタビューで「自分の体をどこに置いていいのかわからない。」と答える人がいた。その人にとって仕事とはきっと当たり前だけどなくてはならないものなのだと思う。・・・自分が生きていく中で仕事をすることは、自分が自覚していないうちに、知らず知らずのうちに「生きがい」になっていくのではないか。自分が思っている以上に近くにあって、大切なものなのだと思う。だからしっかりと、自分にとっての仕事と向き合っていきたい。

 

教科書ではきっと学ばない勉強です。多分、テストにも出ないでしょう。

でも、自分のこととして考えてほしいのです。これは、遠いどこかの国のお話ではなくて、自分が今生きているこの国で、この社会で起こっている出来事なのですから。

 

 

朝焼け色の空に またたく星ひとつ
小さな光が照らす 大いなる勇気
何気ない日々の中に 明日の種を探せば
始まりの鐘が響く いま 君のために
雨降る日があるから虹が出る
苦しみぬくから強くなる
進む道も夢の地図も すべては心の中にある
助けあえる友との思い出を
いつまでも大切にしたい
進む道も夢の地図も それは ふるさと

 

(嵐「ふるさと」より)

 

私たちは被災地から離れた場所で、

ニュースを目にしなかったら、震災が今も続いていることを忘れてしまいそうなくらいに

平和で安心な生活をしています。

でも、これからもずっとずっと 被災地に心を寄せ続けましょう。

そして、一人一人の心のふるさとを、これからも大切に大切にしていきましょう。

2014.02.24

コラム