第3回『知識』と『体験』が結びつくとき
夏の終わりから秋にかけて、日本列島は大きな地震や台風に見舞われています。「異常気象」「温暖化の影響」…といった言葉をテレビや新聞で頻繁に目にします。誰もが一度は聞いたことのある、またどこかで考えさせられたことのある『環境問題』。ひとことで『環境問題』と言ってしまうのは実に簡単なことですが、これを本当に理解しようとするのはとても難しいことです。この夏、作文倶楽部の子どもたちと一緒に考えた「環境」の話を今日はご紹介したいと思います。
3・4年生の読書感想文の課題は、『よみがえれ、えりもの森』(本木洋子文・新日本出版)という本でした。太古の森におおわれていた北海道日高地方。えりもの海でとれるコンブは人々の宝でした。しかし、このコンブをとるために漁師たちがここに住みつき、たき火のために、また家を建てるためにたくさんあった木を乱伐しつづけ、ついには一本の木もなくなってしまいます。はげ山になった表面の赤土は強風が吹くと舞い上がり、海に流れ出します。赤土で真っ赤ににごった海には魚もコンブもよりつかない死の海へと化してしまうのです。絶望的な故郷を前に、えりもの漁師たちは誓います。「木を植えて昔の海を取り戻そう。」そして何十年もかけて人々は一筋縄ではいかない植林を続けるのです。「おれはコンブ漁師だが、半生は山にかけた。漁師だから海のことだけを考えていればいいんではない。山が荒れると海も荒れるんだ。五十年たって心から思う。」・・・。NHKの『プロジェクトX』でも話題を呼んだ実話です。
中学年の課題図書は3冊ありました。私は、最後の最後までどの課題にすべきか迷いました。この本は、その三冊の中で最も難しい内容だった課題です。しっかりと考えなければ「自然は大事にしなければならないと思いました。」という薄っぺらな感想文で終わってしまう可能性のある課題なのです。しかし、あえて選びました。3・4年生という頭のやわらかいこの時期に、様々な角度から「環境」について考えるきっかけを作りたかったからです。
まず、授業に入る前に子どもたちに、あるものを見せました。それは、大きな木の切り株です。まず、子ども達に木の年輪を数えてもらいました。子どもたちは『年輪』という言葉を初めて聞いたようです。みんな目を輝かせて何十にも重なった年輪を数えていきました。
「先生!42個あったよ!この木は42歳だよ!」
その木は子どもたちの何倍も多く生きてきた木だったのです。私は年輪を見ながら木の話をしました。年輪の幅をみると、その年の気候がわかること、また年輪についた傷を見るとその年にあった地震や台風といった自然災害の状況がわかること。この木は時代をそのまま反映する生き証人なんだよ、ということを伝えました。そして、外へ出かけて木々にさわってみたり、見上げてみたりしながら五感を使って「木」を感じました。環境問題を語る前に、まず木と友だちになってほしかったのです。
そして、その後さまざまなディスカッション、ディベートを繰り返しました。「どうしてえりもの人々はもう一度、森を取り戻そうと決意したのか?」「人間と自然はどちらが強いのか?」「自然の力がすごいなと感じたのはどんな時か?」などなど、とことん話し合いをしました。はじめは「木は紙を作るために必要だから大事。」「自然は人間にとってよいものだ。」など、頭の片隅に眠っていたありったけの『環境問題』の知識をしゃべっていた子どもたちでしたが次第にはっとさせられる言葉が飛び交うようになりました。「人間がこうやって手を広げてても小鳥はやってこないけど、木には小鳥やいろんな動物がやってくるんだよね。木ってすごいね。」「人間は一回死んだら、もう絶対に生き返らないのに、えりもの森は50年かかかったけど生き返ったからすごい。人間より自然のほうが強いと思う。」…。冒頭にも書いたように、環境や戦争といったことをテーマにした作文は「戦争はいけない」「環境破壊はいけない」といったあたりさわりのない作文になりがちです。もちろん、それがいけないわけではないですし本当にそう感じられたのであれば十分に価値のあることだと思います。でも、多くの子どもたちはただなんとなく「いけない」と書いてしまいます。ちょっと頭のいい子は「こう書いたら大人が喜ぶ」ということもわかっています。そして私たち大人もなんとなくそれで満足してしまいます。でも、せっかく書くなら本当に考えて考えて、感じたからこそ言えるその子らしいキラリと光る文章を、「一文」でいいから書いてほしいなあと私は願うのです。
以前に働いていた名古屋のスクールでは、2ヶ月に1回、子どもたちと一緒にキャンプに行っていました。森の中での理科実験と作文、ツリークライミングや天体観測、間伐作業などの体験のプログラムを組み合わせたキャンプです。理科の観察で「足元の働き者たち」という授業をしました。土をみんなで掘り起こし、土の中に住んでいる虫たちを観察するのです。みみずやムカデなどたくさんの虫たちが顔を見せました。同時にボロボロに穴があいた落ち葉や松ぼっくりなども見つかりました。木は葉を落とし、その葉をいま出てきた分解者と呼ばれるこの虫たちが養分に分解し、また土の栄養になって木はぐんぐん育っていく…。この森の仕組みをみんなで実際に目で見て学びました。
その観察のあと「分解者」をテーマにしたエッセイを書くことに挑戦しました。実は「分解者」という言葉が出てくるのは中学2年生の理科の第2分野の教科書。小難しい言葉で定義が書かれています。だけど、いま目の前でこの森のサイクルをみたのなら簡単に解説できるはず。小さい子にでもわかるように「分解者」を説明してごらん、という課題を出したのでした。エッセイ風の簡単な説明文を書けたらいい・・・。それぐらいにしか考えていなかった私の予想は、しっかり裏切られました。子どもたちは、こんなことを話し合い始めたのです。
「ねえねえ、分解者ってなんでも食べるのかなあ?」「うん。なんでも食べるんじゃないの?」「えー。でもさぁ、アキカンとかは食えないよ。」「そうだね。発泡スチロールも無理じゃない?」「そっかぁ。人間が捨てたものは食べられないんだ。」「だから森にゴミを捨てちゃだめなんだね。」……。
そうして子ども達は、私が何も言わなくても『環境問題』を意識したストーリーを描いていきました。あの時ほど、子ども達の持つ感性と何かを学びとる力の深さに驚かされたことはありません。なんとなく知っていた『森にゴミを捨てちゃいけない』という知識と、いま目の前で実感した『森の成長のサイクル』という体験ががっちりとかみあった瞬間、子どもたちは大人が何かを教えようとしなくても自らの力で学びとることができたのです。
確かに大人は子どもよりも多くの知識を持っているのかもしれない。しかし、その知識は体験と結びついた時に初めて「本物」になり得ます。そして、そこで出た『言葉』ほど尊いものはありません。
まだまだ、この世の中には考えなければならないテーマがたくさんあります。子ども達と一緒に本物の「言葉」が生まれるその瞬間に、これからもたくさん出会っていきたいと思います。
2004.10.12