第41回 山梨県立美術館「100万回生きたねこ」佐野洋子の世界展

~愛することと愛されること どちらが幸せか?~

開館40周年を迎える山梨県立美術館で、4月より「100万回生きたねこ~佐野洋子の世界展」が開かれました。世代を越えて読み継がれるこの一冊の絵本、そして作者の佐野洋子さんの生きざまを様々な角度からとらえた素晴らしい展示でした。

この展示にあたり、子ども達のこの本への想いを知りたいと美術館の先生方からありがたい依頼を受け、トトロの子ども達が描く「100万回生きたねこ」が展示会の一角で紹介されました。

まず授業では、まったくこの絵本にふれないで、授業の冒頭でディベートをしました。お題は

「愛すること」 と 「愛されること」 どちらが幸せか?

⇒結果、圧倒的多数で「愛される方が幸せ」と回答。
 理由としては ただそれが一番平和で幸せだから。何かをしてもらえる方が安心だから …等
 「愛する方が幸せ」と答えた少数派は「愛されるのは、何かを待っている状態だから。」
 「どっちもないと幸せになれない」という意見も。

「愛するって、どういうこと? どうやってみんなは愛を伝えるの?」
・友だちがうれしい時、いっしょに喜ぶこと
・大事な人のお誕生日にプレゼントをわたすこと
・バレンタインに手作りチョコをわたすこと
・母の日に「ありがとう」ってお手紙を書くこと
・父の日に、お母さんと妹をいっしょにケーキを作ること
・いっぱいなでなですること
・サプライズでドッキリをしかけること
・いつもいっしょにいること
・心から大事に思うこと
・はげましてあげること
・ぎゅーってすること
・いっしょにあそぶこと
・自分の気持ちを伝えること
・あいする人にいろいろなことをしてあげること
・妹をかわいがること
・ペットと毎日いっしょにねること
・ほっとけないこと

*愛されるって、どういうこと?どんなとき、愛されてる!って思う?

・「すきだ」と言われる時
・泣いているとなぐさめてくれた時
・家族におこられた時
・さみしいとき、ハグしてくれる時
・ポロポーズされる時
・病気の看病をしてくれる時
・おもちゃを買ってもらえる時
・おかあさんのふわっふわのオムライスを食べる時
・かまってもらえること
・心がほっこりすること
・だれかに「すき」と言われること
・ラブレターをもらった時
・顔が赤くなった時
・「ありがとう」と言われた時
・頼りにされる時
・ママにギューしてもらった時
・お父さんとお母さんにかわいがられること
・ペットのねこにあまえられる時
・誕生日に親友たちがサプライズで歌ってくれた時
・普段はケンカばかりの兄弟が、ふとしたときに心配してくれた時
・部活仲間が「今年もいい年にしようね」ってメッセージをくれた時
・部活の顧問がさりげなく声をかけたり、相談に乗ってくれたりする時

*みんなにとっての「幸せ」ってなに? 幸せだなって思う時ってどんな時?

・夏休みが長いこと
・家族みんなでおいしいものがたべられること
・ママと遊べること
・ママにすきなものを作ってもらえること
・いいゆめがみられること
・感情を感じられること
・できなかったことができるようになること
・お休みの日、ずーっとねていられること
・にじを見たこと
・よつばのクローバーを見つけたこと
・ストーブの前であったまること
・トースターでパンが焼けた時
・誕生日を祝ってもらうこと
・自由なこと

子どもたちからは、実にさまざまな「愛」の形が出てきました。

その後、初めて「100万回生きたねこ」のお話をみんなで読みました。
主人公の猫は、ある時は一国の王の猫となり、ある時は船乗りの猫となり、サーカスの手品つかいの猫、どろぼうの猫、ひとりぼっちのお婆さんの猫、小さな女の子の猫…と様々な飼い主のもとで死んでは、また生まれ変わります。100万人の飼い主は猫の死にひどく悲しみましたが、当の猫はまったく悲しまなかったのです。それはなぜか?飼い主のことが大嫌いだったからです。
そんな猫が、初めて野良猫として自由に生き、恋をし、父親になります。そして最愛の白猫が亡くなった時、初めて泣き、その後猫も生き返ることなく死んでしまう…という物語です。

子ども達の感じ方は様々でした。

100まんかい生きていいなあ。100まんかい、わたしもいきたいな。
ともだちとあそんだり、ディズニーランドにいったりしたい。 でもねこはわがままだとおもった。せっかくみんなが、だっことかしてくれてるのに。
わがままだとおもった。 (小1)

ねこは白ねこがとってもすきだったんだね!
子どもはなんびきいるんですか?ねこはいままでの人生で、なにが一番しあわせでしたか?わたしはふしぎに思います。それは、なぜねこはぜんいんのかいぬしさんのことが大きらいだったのですか?それはすきなことをやらせてもらえなかったから?それともかってに、いろいろなことをさせられたから?
わたしはママとパパにまもられていてしあわせです。かいぬしはあいしたつもりでも、ねこはそうかんじなかったのかな。なにがいやか、聞いてくれないからいやだったのかな。 (小2)

ぼくもきみみたいに、100万回、生きてみたいな。きみみたいなねこに、なりたかったな。
だって、きみはすごいもてたから。
ぼくも、すごいもてたけどね。1年生の時、12人くらいの女の子にもてていた。でも、
「かべドンして。」と言われて「やだ。」って言ったらきらわれた。
あいされるのはうれしいけど、きらわれるのはいやだ。だからぼくは、あいするほうがいいな。だって、あいすると友だちもいっぱいできるから。
きみはしあわせだったのかな。しあわせとさみしい、どっちもかな。 (小2)

のらねこは人間が大きらい。でも自分のことは大すき。
のらねこの気持ちもわかる。なぜかというと、自分のやりたいことができない人生はいやだから。だから何回も生き返った。でも、最後は生き返らなかった。だってもう、何度生きていても一番すきな人はいない。そうのらねこは知っていたから。
のらねこは幸せだったのか。私はわからない。
人生はいろいろなことがおこる。この本を読んで、私はすごく心がゆらされて、生きるってなんだろうと思った。                           (小3)

私は一番最後の「ねこはもう、けっして生き返りませんでした」という文が一番心に残りました。白いねこをあいしていたねこは、あいしていたねこといっしょに「いつまでも生きていたい」と思っていました。今までで一番幸せと思えた人生だったから、ねこは生き返らなかったんだと思います。私が「いつまでもいっしょに生きていたい」と思う人はいとこです。ぜったいにはなれたくないです。いま、世界でいとことパパとママが一番大好きです。 (小4)

どうして自由に生きたいと言わないの?言えば気持ちが伝わって、庭で遊ばせてくれた。
どうしてもう一回生きれるってわかるの?もう少し、人生1回1回を大切にしよう。 百万回死んで、百万回生きたとしても人生を大切に過ごさなかったら、じまんしてはいけないよ!でも、最後に幸せに生きれてよかったね。天国でも幸せに!
(小5)

ねこはずっと愛されていなかった。
でも、白ねこに出会い「あなたのそばにいていいですか?」と聞き「ええ。」と返事をもらい、  
自分が愛されていることを感じたんだと思う。それからねこは、ずっと白ねこのそばにいた。しかし、白ねこは静かに死んでしまった。泣いたことのないねこが初めて泣いた。
ねこが、もう二度と生き返らなかったのは、もうこれ以上の幸せはないと心から思えたから。 
白ねこに、本当に愛してもらったと思えたから。だから幸せだったんだと思う。(小6)

すべての意見を載せられないのが残念ですが、年齢が上がるにしたがって悲しいはずの「死」を「幸せ」と感じ取れるようになっていったことがとても興味深かったです。
また同時に、最初のディスカッションででた「愛される方が幸せ!」という意見が、物語を読み解いていくうちに「愛することで猫が幸せになったのならやっぱり、愛する方が幸せなのかも」と子ども達が悩む様子を目の当たりにし、これこそがこの名作が持つ力なのだと実感しました。

大人の予想をはるかにこえる「哲学対話」となり、私は中高生にも考えを聞いてみたくなりました。これもまたすべてを載せられないのが残念なのですが、一部紹介します。

ねこは多分「死にきれなかった」のではなく「生ききれなかった」のだと思う。
ねこは死んだ。100万回も。でもねこはきっと、100万回の中で一回だって最後まで生きることはできなかったんだと思う。愛されることを当たり前として、愛なんて知らなかったのだ。
 愛ってきっと雨みたいなものだ。ただ何の理由もなく見返りを求めることもなく私たちを潤す雨みたいに与え続けるもの。それを知らずに寿命だけで生きたねこは抜け殻みたいで、「自分が大好き」も空っぽな自分の空白を埋めたかっただけではないか。だからこそ、自分になびかない白い猫に初めて愛を与えたことで抜け殻なんかじゃない自分を生きたんだと思う。

「死ぬとは」 人生1回だけ、というこわさを感じる。しかしこの猫はそのこわさを少しも感じていない。それはなぜか?生き返れるからだろうか?それともただ死ぬのおそれているだけなのか?僕は猫には 「死にたくない」と思う理由がないからだと思う。 最後に猫は、白い猫と自分の子どもが大切だと思えている。その大切な物があるから、猫は絶対に死を恐れていたと思う。大切な物があるか、ないか。守りたいものがあるか、ないか。そこに死にたくない、生きたくない、の感情が出てくるのだ。

佐野洋子さんが、何を一番伝えたかったのか。それはいまだにわかりません。
でも、だからこそ彼女の描いたこの1冊は、いつまでも世代をこえて多くの人達の心に 何かを問い続けます。
小学生の子ども達が高校生になったときに。
そして中高生の子ども達が大人になった時に。
もう一度読み返して話を聞いてみたい。
そう思わせてくれる絵本との出会いでした。

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