第6回 いえでででんしゃはこしょうちゅう?

 

戦後60年 ――。 今年の夏は、新聞、雑誌、テレビに映画・・・といたるところで「戦争」をテーマにした話題が取り上げられていました。平和な日本に暮らしているとついつい戦争は自分とは無縁のものに思えてしまいますが、60年前、この日本で悲惨な戦いがあったこと、そして今もなお、世界各地で戦いが続いているという現実を、もう一度見つめなおしてみたいと思います。

今年の中学年の読書感想文課題図書は「いえでででんしゃはこしょうちゅう?」(あさのあつこ作・新日本出版)という本でした。

本のタイトルにもなっている「いえでででんしゃ」はお母さんにしかられて、弟とケンカして…「家出したい!」と思った子どもなら誰でも乗れる不思議な電車です。空にも行くし深海にも潜る、そんな子ども達の夢をのせた「いえでででんしゃ」がある日、動かなくなってしまいます。心配した車掌さんとさくら子とけいすけがそこに乗り込むと・・・いえでででんしゃは突然ものすごいスピードで動き出します。着いた場所は、ジェット機がミサイルで家を破壊し、多くの人々や子どもたちが逃げ惑っている戦場。その様子を電車の中から見たさくら子とけいすけは恐怖でガタガタと震えてしまいます。そして、その後、いえでででんしゃはまた走り出します。さくら子たちがふと振り向くとそこに見えるのは青く輝いている地球。そうです。いえでででんしゃは「地球」から家出してしまったのです。

 子ども達に問いかけてみました。戦争で奪われるものって何だろう?

「家、おもちゃ、服、教科書、食べ物、飲み物…。」自分の身の周りにあるものが次々に挙がりました。そして次第に「家族、友達、いのち、笑顔」…と物資以外のものが挙がってきました。「家って、ぼくが一番安心できる場所。家族がいてぼくを育ててくれるところ。そんな場所が破壊されたらぼくは生きていけないと思う。」そう話してくれた男の子の姿が印象的です。私たちは戦争を知りません。だからこそ、もし、自分がこうだったら…と人の痛みを自分に置き換えていくことが大切だと思うのです。

 ディスカッションは続きました。

“いえでででんしゃは戦争を繰り返す人間たちに怒って地球を家出してしまったけれど、他にはどうだろう?”

子ども達は身近で感じる様々な問題を調べてきてくれました。川がよごれて大好きなホタルがやってこないこと、森の木が切られて動物の住処がなくなっていること、海水浴に行ったら海はゴミの山だったこと。

「きっと、こんなのを見たらいえでででんしゃはまた怒って家出するよ。」

子ども達は真剣です。でも、じゃあどうしたらいいんだろう?他人事じゃなく、何か小さいことでも自分にできることはないんだろうか??今の現状を知れば知るほど、新しい課題にぶつかっていきました。

物語の最後の場面で、さくら子はいえでででんしゃに語りかけます。

「帰りたいよ、いえでででんしゃ。あそこに帰って、大きくなって、いろんな家をつくる人になりたい。子どもの家をぼかぼかこわすような大人じゃなくて、つくるの。つくる人になりたいの。」

するとでんしゃはゆっくりと地球に向かって動き出すのです。この場面を読んで、子ども達は次々に話し始めました。

「夢の話って楽しいもんね。だから、きっといえでででんしゃが元気に動き出すための燃料になったんだね。」「私だったら、将来お医者さんになってたくさんの人を助けるから地球に帰ろうって言うかな。」「ぼくは消防士になりたいって言うよ。」「私はアナウンサーになるって言うな。悲しいニュースじゃなくてうれしいニュースをいっぱい読むアナウンサーになりたいな。」・・・。子ども達の目はキラキラしていました。きっと、この物語のさくら子も、子ども達と同じようにキラキラとしていたのでしょう。この地球には、たくさんの人達がたくさんの夢を抱えて生きています。争いが絶えないイラクでも、子ども達は皆、将来の夢を生き生きと語るんだと何かの本で読みました。それを実現させるのは人間。それを奪ってしまうのも人間なのです。

「今年は、戦後60年やなぁ。」――。

今年のお正月、そう静かにつぶやいた私の祖父は、7月6日に93歳の天寿をまっとうしました。召集令状を手渡された時の気持ち、家族との別れのプラットホームに響いた汽車の音、死と隣り合わせの厳しい戦場、家を守る祖母との手紙での交流、命からがら祖国へ帰れたとき、貧しい日本の生活を見て「鍬をにぎってたくさん米を作らねば。」と心に誓ったこと。戦争の話をし出すと止まらなくなる祖父でした。

どれだけ時が流れても戦争の夢を見てうなされる祖父の姿を見て、戦争は生き残った人々の心を深く深く傷つけるのだということを私は知りました。特攻隊員として、あるいは陸海軍の戦士として命を投げうった多くの人々は、後世に生きる私たちを信頼して、二度と戦争が起こらないようにと念じ、自らを犠牲として今の日本の礎となっている平和を身を張って造り出してくれたのです。

「ああ、また戦争の話かぁ。」と、うんざりしていたことを私はいまとても後悔しています。祖父はきっと繰り返し繰り返し、平和な時代に生きる私たちに伝えたかったんじゃないかと。いまとなっては何も恩返しできないけれど、小さい頃から聞いてきたあらゆる話を祖父の代わりに、戦争を知らない子ども達に伝えていきたいなと思っています。

 

2005.09.06

コラム