Dr.キノシタ(BLA英語クリニック)

英語脳を使った英語習得法や日本人のRとLの発音苦手克服のための矯正具などユニークな発想で英語普及活動を続けていらっしゃる木下先生にお話しを伺いました。

プロフィール

1946年静岡県静岡市清水区生まれ
Litterarum Doctor (文学博士)
小学6年~中学1年の時、独学で英会話をマスター 25才の時、
大学院留学のために初めて渡米。
Boston の大学院を卒業学後、Beatrice Foodに3年勤務
NHK ラジオ・TV「Dr. Kinoshitaのおもしろ英語塾」教授

幼少時代の外国への憧れが、英語熱への原動力でした。

私は幼稚園のころから外国に行って知らない人達に会うことが夢でした。そのためには英語が話せないと困ることだけは知っていましたが、世界には私が知っている日本語と英語しか無いと思っていました。それで意味のわからない言葉は英語だと思い込み、デタラメ語を話すようになりました。でもまもなくデタラメ語が英語ではないことがわかり、英語を学ぶチャンスを探し始めましたが、見つかりませんでした。私が唯一英語に触れることが出来たのは中学生であった兄と姉が家で英語を復習している時でした。 ききかじりの英語で、たまたま出合ったアメリカ兵や、町を歩いていた外国人の船員をつかまえて話しかけたら通じたこと が、私の英語熱に拍車をかけました。小学校4,5年の時でした。

独学でマスターした英語の勉強法は・・・

貧乏でしたので英語を習いに行くことも出来ず、まわりに 英語を話す人は一人もいませんでした。そこで思いついたのが 英会話のレコードを買って、その英語を全部覚えてしまうことで した。小学校6年の夏休みころ、母親にお願いして一生に一度 のプレゼントとしてレコードを買ってもらいました。その日から毎日4~5時間レコードの両面を聞きました。最初は早すぎて全然 聞き取れませんでしたが、やがて真似が出来るようになり、1年 後には似た発音で同じスピードで全ての英語が言えるようになっていました。又中学校1年の入学式の日に、教会でアメリカ人宣教師が無料で英会話を教えてくれるという案内を見、宣教師に出合ったことも私にとって大きなことでした。

最高校生で通訳デビュー。大学の学費の大半は、通訳のアルバイトでまかないました。

中学校2年の終わりころには私がかなり自由に英語を話すように なっていたことを知っていた宣教師は、3年生の始めから毎週1回 私を自宅に招いて、通訳になるためのレッスンをしてくれました。といっても彼は通訳の専門家ではなく、ひたすら聖書の内容を英語で解説したのです。もちろん彼の英語の説明は全部理解できました。 高校1年生の最初の日曜日に、彼は私に英語のメッセージを日本語に通訳するように命じました。最初は予め英語の原稿をもらい、日本語に訳し、その日本語を丸暗記する所から始まりましたが、やがては原稿には無いことを言ったり、要約だけをよこすようになっていきました。そして高校3年生のころには、即席の通訳をするケースが増えました。大学時代の学費と生活費の大半は、通訳のアルバイトでまかなうこととなりました。

通訳のお仕事の他に、英語の教育書やユニークな発音矯正具などの開発もされていますね。最近では、Eラーニングの分野でもご活躍とか。

本格的な仕事として英会話学校を開きましたが、やがて時空を超えた 英語教育をしたいと願うようになり、英会話学校を閉じ、英語関連の 本を執筆し(すでに20冊ほど出版しています)、NHKならびに民放のテレビやラジオで「Dr.キノシタの面白英語塾」なる番組をやらせていただくようになりました。 ReaL Stick という英語のLとRの発音矯正具が、私の最初の発明品で、ほとんどのテレビ局で紹介されました。 第二の特許申請となったのが、YouCanSpeak です。これはスピーキングのメカニズムの解明を基に、だれでも思ったことが瞬間的に英語 で言えるようになるという画期的な eラーニングです。早い人は半年で、ゆっくりめでも1年で英語がペラペラになるシステムです。今は このシステムの普及に全力をあげています。これが普及すれば、日本は変わります。

BLA英語クリニック

詳しくはこちらをご覧ください。