第2回「もっと・いっぱい・だっこ」

 いよいよ二学期が始まりました。夏休み明けの子ども達は体の成長は然ることながら、なんだか表情までもきりっと大人びたような気がします。今も昔も変わることのないドキドキとわくわくがいっぱいの夏休み。きっと、この40日間は子ども達を肉体的にも精神的にも大きくしてくれるかけがえのない時間なのでしょう。

 作文倶楽部トトロでは、夏期公開講座として『読書感想文教室』をひらきました。おそらく、毎年子ども達とお母さん方をもっとも悩ませるであろうこの課題を、クラスみんなでディスカッションをしながら深くお話を読み込み、とっておきの作品を書き上げていきました。その中のひとコマを今月と来月をかけてお伝えしようと思います。

 1・2年生の課題図書は『しゅくだい』(いもとようこ文・岩崎書店)という絵本でした。
ある日、先生がちょっと変わった宿題を出しました。その宿題とはなんと“だっこ”。はずかしくて「やだ~。」と言いながらも、もぐらのもぐくんは、にこにこ笑いながら大急ぎで家に帰ります。いつもお母さんは生まれたばかりの弟や妹にかかりっきりで、ちょっぴりさみしい思いをしていたもぐくんにとってそれはそれはうれしい宿題。家族のコミュニケーションをユーモラスに描いた、心あたたまるお話です。
 読書感想文教室では、実際に子ども達にも「おうちの人にだっこしてもらおう。」という宿題を出しました。主人公のもぐくん同様、子ども達は少し照れながらも大喜び。ディスカッションではだっこしてもらったときの感触やかおり、また家族に聞いてきた自分が小さかったときのだっこの思い出などを、本当に目をキラキラさせながら発表してくれました。『初めておかあさんにだっこしてもらったのは、生まれてすぐのはだかんぼうのときだったそうです。なきむしさんだったのでたくさんだっこしてくれたみたいだけどわすれちゃった。だからもっといっぱいだっこしてもらいたいな。』『だっこしてもらうとうれしいし楽しい。だから元気になる。』『だっことか、あくしゅとか手をつないだりすると相手の気持ちが言わなくてもわかる。』――。子ども達はめいっぱい、お父さんやお母さんにぎゅっと抱きしめてもらったあたたかさから何かを感じとることができたようです。そこから出てくる言葉は嘘偽りのない真実であり、私自身があらためて「親子」の絆の強さや、もっともシンプルな、けれど言葉以上に雄弁なコミュニケーションとして「だっこ」の力を感じさせられたのでした。
そしてふと、新聞広告で目にしたこんな言葉を思い出しました。

子どもの頃に抱きしめられた記憶は、ひとのこころの、奥のほうの、
大切な場所にずっと残っていく。 
そうして、その記憶は、優しさや思いやりの大切さを教えてくれたり、
ひとりぼっちじゃないんだって思わせてくれたり、
そこから先は行っちゃいけないよって止めてくれたり、
死んじゃいたいくらい切ないときに支えてくれたりする。
子どもをもっと抱きしめてあげてください。
ちっちゃなこころは、いつも手をのばしています。


たかが感想文、されど感想文です。子どもと大人が、いっしょに一冊の絵本のあたたかみを共有し、その話に込められたメッセージを考えることができたのなら、“読書感想文”という課題も悪くないなあ・・・毎年、授業を終えるたびにそう思っています。 

 第1回「感じる心(感性)」
2004.06.30

「さくらが咲くときって、どんな音がするんだろう。それはきっと、人間には聞こえない、小さな小さな音だよ。」
河原に春を探しに行った時、子ども達がこんなすてきなフレーズを詩の中で表現してくれました。あの日のつーんとした肌寒さ、ふわふわと風に舞う桜の花びら、そして、真っ赤な夕焼け雲に現れたどこまでも続くひこうき雲。きっと、この詩を読むたびに、子ども達はあの日、みんなで共有した感動を思い出すことでしょう。

私はこれまで、「作文」を通してたくさんの子ども達に出会ってきました。原稿用紙とにらめっこをする「作文」ではなく、わくわくした気持ちで原稿用紙に向かっていける「作文」へと子どもたちの意識を変えていくためにはどうすればいいのだろう…とずいぶん悩んだものです。そうして今、ひとつだけ確信を持って言えることは「書く」までのプロセスをじっくりあたためることが何よりも大切である、ということです。「書きたい」と思えることを自分の力で見つけることができたとき、大人が何も言わなくても、びっくりするくらいステキな言葉が子ども達からあふれ出すのです。

一人一人の創造性を育てる土壌ができているアメリカに対して、日本ではゴツゴツした創造性を早くから丸くおさめようとするために、その芽をつんでしまう傾向があると言われています。本当にそうだとしたら、それはとてももったいないことだと思うのです。頭を使って考えたことは、すぐに忘れてしまいますが、体中を使って感じたこと、考えたことは決して忘れることはありません。大人が決して気づかないこと、見過ごしてしまいそうなことを敏感にキャッチする子どもたちの感性。この感性こそが「作文」にとどまらず、あらゆる場面で真の「生きる力」を育むための原動力となっていくのではないでしょうか。

子どもたちは本当に好奇心旺盛です。私たち大人はしばしばその好奇心に戸惑ってしまうことがあります。例えば、森や山でめずらしい草花や鳥に出会った時、必ず子ども達は「あれ、なんて花(鳥)?」と私たちに尋ねます。そこでとっさに答えられなかった時、多くの大人は「しまった!わからない…。」と思ってしまうのではないでしょうか。(実は昔、私自身がそうでした。)でも、植物辞典を持ち歩いてその都度、名前や特徴を調べて教えてあげる必要はないと思うのです。「さあ、なんて花だろう?名前をつけてみよっか。」なんて言いながら、花の香りを楽しんだり、さわってみたりしながらその「花」を子ども達と一緒に感じればいいのです。子ども達が気に入ったとっておきの花に「花言葉」をつけて「花言葉物語」を作ってみる…。こんな作文は子ども達をおおいに夢中にさせます。
美術館に行った時もそうです。何も専門的な絵の見方をする必要はありません。子ども達が大好きになった絵の前で、じっくり時間をとって一緒にその絵を眺めてみたらどうでしょう。そうすると、子ども達はその一枚の絵から連想されるストーリーを次から次へと考え出し、ひとつの物語にしてしまいます。
私たち大人はついつい「私は草花に詳しくないから…。」「私は絵がわからないから…。」と言ってしまいがちです。でも、「わかる・わからない」ということはたいして重要なことではないのではないでしょうか。「“知る”ことは“感じる”ことの半分も重要ではない」と『沈黙の春』『センス・オブ・ワンダー』等の名著を残したレイチェル・カーソンは言っています。子ども達にとって、それが何であるのかを知るよりも、大好きなお父さん・お母さんがそばにいて、一緒にその感動を共有してくれたということの喜びのほうが、より大きな自信になるのではないでしょうか。鳥の名前や種類なら、後日図書館に行けば自分ひとりでいくらでも調べることができるのですから…。

「感じる心」があれば、世界のすべてが何かを書くため・考えるための題材になります。これからも子ども達と一緒に何かを感じ、考えながら私自身も成長していきたいと思っています。また子どもたちの感性がキラリと光るエピソードををご紹介していけたらと思っています。

 

2004.09.01

コラム